岩国市議会 2015-03-10 03月10日-04号
コミュニティ・スクールは、さらに新しい時代を迎えるに必要な防長教育の柱になることでしょう。 つまり、新しい防長教育で地方力を養い、平成の維新を完遂する人材を育成することが、地方創生のもくろむところとなるということであります。これが、東澤瀉が願った陽明学の国づくりだと確信するものであります。 地方力でできることはたくさんあります。これからどんどん提言していきたいと思います。
コミュニティ・スクールは、さらに新しい時代を迎えるに必要な防長教育の柱になることでしょう。 つまり、新しい防長教育で地方力を養い、平成の維新を完遂する人材を育成することが、地方創生のもくろむところとなるということであります。これが、東澤瀉が願った陽明学の国づくりだと確信するものであります。 地方力でできることはたくさんあります。これからどんどん提言していきたいと思います。
山口県は、防長教育というものを旗頭にしておりました。とにかく、人を育てることが、山口県の、今から将来の大きな発展につながるんだと、こういう話でありました。防長教育、最近はそういう言い方をあんまりする人はなくなりました。そういった伝統のもとに、今萩市のいろんな教育が行われております。 かつて村田清風は、四峠の論を乗り越えよ。要するに、四つの峠を超えて、師を外に求めよ、こういう檄を飛ばしました。
また山口県は、防長教育としても天下論じる県でもあります。この意味からしても、もっと幅広く教育に力を入れるべきではないでしょうか。我々の先人たちが培ってくれた防長教育の原点に戻り、県の教育委員会に対し、物申すことが必要ではないかと思います。先だって萩ケーブルネットワークの番組で、市長や教育長のコメントをされておられました。私は全く共感しております。
山口県の教育を防長教育とも呼んでいます。防長教育の起点は、吉田松陰先生の教学精神にあり、時代の流れを先見的に考え、進取の気風を受け継ぐことに大きな特徴があるといえます。その防長教育の精神は、今日においても脈々と息づいており、現在の夢と知恵をはぐくむ山口県教育に受け継がれています。
かつて山口県は防長教育ということばが使われておりました。防長の防は周防の防であります。防長の長は長州の長であります。そういう防長教育の名のもとに素晴らしい独自の教育を展開してきました。たくましい防長っ子という言葉もテレビのPRに出されておりました。
ゆとり教育が若干見直し論議の中で、学力向上についての危機意識というものも今出てきたわけでありますけれども、全国実施してみた場合、下松の学力が5段階評価で言うと全国平均の3なのか、上、中、下で言うと中なのか、それとも防長教育、山口県教育あるいは下松教育、熱心に教えていらっしゃいます。
これは、防長教育の源泉と言われております吉田松陰の言葉でございますが、とりわけ中学制の時代は、身体的にも精神的にも発達が著しい時期で、そのときに出会った1冊の本が悩みを解決してくれたり、深い感動を与えたり、将来への夢や希望を抱かせたりする場合が多く見られ、図書室は人間形成の大きな役割を担う施設の一つであろうと受けとめております。
今日、教育学部が豊かな先見性、郷土に奉仕する精神等、山口県の教育理念の源流をなす防長教育の歴史と伝統を引き継ぎ、長年にわたり教員の養成と資質向上に大きな役割を果たしてきたのは、今さら申すまでもありません。特に本市においては、白石や平川にある教育学部附属幼稚園、小学校、中学校及び養護学校にも影響が波及すると聞いております。